Yasuto
Nakahara
________Chef

たかがコーヒー、されどコーヒー。

先日、結婚記念日を兼ね、ひさしぶりにフレンチをランチで食べに行った。店に入るといかにもお金がかかっている風の内装、調度品の数々、まさにこれがフレンチだと。

席に通されると私たちのテーブルの横に見慣れぬ怪しげな物体が鎮座してあった。そう、例えて言うなら「巨大な砂時計」といった感じで、上からポタポタゆっくりと水が落ちているのだ。

マダムに「これは何じゃ?」と聞くと、どうやら水出しコーヒーのマシンのようなのである。確かに下にコーヒーのような液が徐々に溜まりつつある。しかしそれが驚くことに各テーブルに配置されている。ということは、食事が終わる頃にこのコーヒーが完成し、それを飲むということか。

いや、待てよ。ここで一つの大きな問題がある。実のところ、私たちは基本的によほどのことがない限り紅茶派なのである。じゃあ、この水出しコーヒーはどうなるの?二人でボソボソと論議していると、サービスの人がやってきてメニューの説明をしてくれ、最後に食後の飲み物はコーヒーになさいますか紅茶になさいますかと聞いてきた。

普通ならここで紅茶と言うとこだが、もし紅茶を頼むと、じゃあこのコーヒーはどうなるのか?紅茶と言った瞬間撤去され、持ち去られるのだろうか。何よりかなり気まずい雰囲気になるに違いない。

日頃から義理人情を大事に生きている僕にとって、わざわざ私たちが来店する前からコーヒーを準備してくれている店の人達に恩を仇で返すことになる。やはりここは店の人に敬意を払い、コーヒーを頼むのが人の道ではないのか。それに水出しコーヒーも飲んでみたい気はするし、マダムならそんなことお構いなしに一刀両断に紅茶を頼むだろうが...

そこで、恥を忍んで聞いてみた。「もし私たちが紅茶を頼んだら、このコーヒーはどうなるんですか?」と。するとサービスの人はあっさり「他のお客様にお出しします」と。しかし、周りを見渡しても客は私たち以外誰もいないし、ということはスタッフの人が休憩中にみんなで飲むのか、まさか捨てるわけないし。そうこうしているうちにもどんどんコーヒーは溜まってくるし、ここはやはり男なら「コーヒーでお願いします」しかないでしょう。

しかし、コーヒーにしたのはいいのですが、どうも食事中この私の横に鎮座している水出しコーヒーマシンが気になって、なかなか食事に集中できません。一体いつになったら完全に水が落ち切るのだろうかとか、本当に食べ終わるまでに間に合うのだろうかとか、この状態では冷たいから温めなければならない。じゃあどうやって温め直すか、鍋に入れて温めるか、いやそれじゃあせっかくの風味が飛んでしまう、まさかアイスコーヒーが出てくるのか。しかし今は冬だし、それはありえない。このマシンはいくらぐらいするのか...

こんなことを延々考えていると食事も喉を通らない。案の定、何を食べたのか全然覚えていない。そして食事終了、デザートに入る前、この罪深き水出しコーヒーは撤去され、奥の方でゴソゴソと多分温め直されているのだろう、いよいよコーヒータイムがやってきた。

なんとヤツはたいそうなサービスワゴンにのせられ、しかもアラジンと魔法のランプのようなピカピカ光る銅製ポットのようなものに入れられやってきた。そして、目の前でいかにも高級そうなコーヒーカップに入れられやっと私と対面したのである。

そして問題の味はというと、完璧である。風味・味ともこれならコーヒーを選んでよかったと思えるほどの出来映え。あまりにも美味しかったので「すいません、おかわり下さい」と言うと、ちゃっかり追加料金とられました。

私の読みでは、ゆうに5〜6人分はコーヒーが落ちていたと思ったのですが、余っているからいいじゃんという思いもありましたが、懐の深い私は満面の笑みを残し店を後にしました。まさに「たかがコーヒー、されどコーヒー」な一日でした。