Yasuto
Nakahara
________Chef

走る哲学者〜Running Philosophy

それはいつ、誰が呼び始めたのか定かではないが、いつの頃からかその者の走る勇姿を称え語り継がれるようになったのである。

どうも走る哲学者<Running Philosophy>こと無森シェフ子で〜す。みなさん、またまたやっちゃいました。10月16日蒜山マラソン、完走。好天にも恵まれ空気もいいし、のどかでいっぺんに蒜山が気に入りました。もし宝くじで3億円当たったら、迷わず蒜山に別荘を買いま〜す。そこでのんびり夏場だけ高級フレンチレストランでもします。

しかし折り返し地点の心臓破りの坂はきつかったです。走り終わった後いただいた蒜山おこわもおいしかったし、蒜山大根は早速帰っておでんにしました。

そこで今日はなぜ私が走る哲学者<Running Philosophy>と呼ばれるようになったのか、お話ししましょう。実はスタート地点に立つと私はいつも後悔します。なぜマラソンに出ると言ってしまったのか。お金まで出して、しかも今回は泊まりがけで。

話は変わりますが、前日ホテルで長女と卓球をやり過ぎました少々寝不足です。ちょっと白熱し過ぎまして。それとホテルでの朝食バイキングで食べ過ぎました。控えようと思っていたのですが、貧乏人の性とも言うべきでしょうか、ついついアレもコレもととってしまいお腹いっぱいに。関係者のみなさん、宿泊先に卓球台とバイキングはやめてください。

話はそれましたが、そんなわけでいつもスタート地点から苦悩の連続でテンションが下がりっぱなしなのです。しかし無情にも号砲が鳴り、スタート!

スロースターターなので3kmまでが無茶苦茶しんどい。3kmまでで10回ぐらい棄権しようかと思う。それでも沿道で応援してくれている見ず知らずの人や家族の応援を見るとやはりがんばらねばと。常日頃から子どもたちに「続けることの大切さ」を懇々と説いている私が子どもたちの目の前であっさり棄権しようものなら父親としての威厳が丸潰れ。

しかし、ろくに練習もしていないし5kmぐらいで限界がやってきて、もう歩こうと思った矢先有り難いことに給水所が。普通のランナーなら走りながら水を受取り走り去るが、私の場合はちょっと長居を。水やらスポーツ飲料やらをゆっくりと堪能してからスタート。本当に地獄に仏とはこのこと。

そんなこんなで気を取り直して走り出しましたが、今回困ったことにアップダウンが激しい。覚悟はしてましたが折り返し地点の坂は最悪。急だし長いしここでもよっぽど歩こうかと思いましたが、いやいや一回歩いてしまうともう二度と走れないと思いなんとか歯を食いしばってがんばりました。

こんなとき何を考えて走ったらいいかというと、私の経験上人生の中で最もつらかったことを思い出しながら走ればいいと思います。それに比べればこんな坂などとるに足らないと。

私の場合は月一回ある地獄のパン販売を思い出しながら、そうすると思わずスキップしたくなりました。人間不思議なもので半分終わると気が楽になりなぜか足取りも軽く、そしてまた給水所で長居してちょっとかわいい女の子と世間話でもしながらいよいよ残り1km。

毎回思うのですが残り1kmを切ってから100mが長いこと長いこと。わかりやすく言えば、夢の中で雲の上を走っているような感じ。走っても走っても残り何mの表示が表れてこない。

そこで考えたのですが残り1kmを切ったところから100mおきにチアリーダーたちが応援してくれるというのはどうでしょう?「フレーフレーシェーフ」とか「ファイト・ゴー、シェフ〜」とか。あ、思い出しましたが給水所でできましたらあんこものを一つ置いていただけないでしょうか。「おはぎ」とか「大福」は喉に詰まりやすいので「金つば」とか「大手まんじゅう」とか。あと渋いお茶もあれば助かります。

そうこうしているとゴールが見えてきて、ここまでくればもう大丈夫。このゴールした時の爽快感は味わった人じゃないとわからないと思います。

そしてまた申し込み、苦悩の日々が...
みんなマラソン中、何を考えて走っているんでしょうか?わかっていただけたでしょうか?

そしていつからか誰が言い出したか定かではないですが、Mの月シェフの走る苦悩の表情を見て後光が射しているとか生き仏だとか、沿道のお年寄りから拝まれるまでに。走る哲学者<Running Philosophy>は誕生したのです。

最後に、私の最終的目標は、私の師匠の走り、彼こそ走りの美学を追求する男。彼の走る姿はまさにギリシャ神話の神々を彷彿させます。彼のお話はまた機会があればすることにしましょう。それではみなさん、「吉備路マラソン」で会いましょう。(完)