倉敷のぼっけぇばあちゃん(エブリディが豆料理!)
地物のえんどうが出回りはじめると僕は祖母のことを思い出す。今回はこの伝説の「しゃんこらばあちゃん」のことをお話しましょう。
両親共に働いていたので僕は祖母(父方)に育てられた。祖母は早くして夫に先立たれ、父と母ひとり子ひとりで戦後の厳しい時期を生き抜いた人だ。何でも自分で作れるしとりあえず厳しい、特にお金に!
家の前の畑で家族で食べる野菜はほとんど作っていた。そして、この時期えんどうが収穫されると小学校から帰った僕はひたすらえんどうのスジひきをやらされた。こっそり逃げ出して遊びに行こうとするとものすごい形相で走って追いかけてくる。(当時たぶん70歳ぐらいだったと思う)
祖母の教育方針は「勉強はできなくていいから手伝いだけはしっかりしろ」というものだった。もちろんお小遣いなどもらったこともない。豆ごはん、きぬさやの卵とじ、空豆の煮付け... こんな夕食が毎日続くのである。当時は祖母を恨んでいたが、今思えば最高のごちそうだったのかもしれない。
ここで不思議に思うことがひとつあるのですが、こんなに厳しい祖母に育てられたのにシェフはなぜ自分に甘く優柔不断な性格の人になったのでしょう? それが世の中うまくいかないもので「親が立派なら子はイマイチ!」とよくありがちな傾向です。まっ、子供は反発するものなのです。
僕の「ぼっけぇばあちゃん」の星の数ほどあるエピソードのひとつを紹介しました。それでは今回はこのへんで「ジ・エンドまめ」。
えんどうのスジをひく時、シワだらけでカサカサの祖母の手を思い出す。やっぱり地物のえんどうは甘くて香りがいい。豆ごはんが炊けた時、あのふたを開けた時の香りがたまらない。